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任意整理から個人再生への切り替えを経験したサラリーマンの体験談


今から5年前、生活の歯車を元に戻すために偏見を捨て、小さな勇気を持って、法律事務所に相談に行き、任意整理という形で、膨れ上がった多重債務の300万円の金利分を軽減してもらい、毎月9万円の借金返済が6万3千円となり、夫婦でお金の価値観を見直す事が出来、クレジットカードも一定期間が過ぎたら、また作れるという事ですが、夫婦で話し合い、もうカードは一生作らないと決め、新たな人生のスタートを切る事が出来ました。

借金というものは、真面目に生きていても降りかかってくるものです。

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任意整理の手続きをした体験談

それは突然のケースもあれば、塵と積もっての債務となって圧し掛かってくるケースもあります。私の場合は後者でした。私が任意整理を決断したのは今から5年前でした。当時の私の年齢は47歳。働き盛りの年齢です。職場でも責任ある立場として働いていました。丁度、高校進学と中学進学の二人の娘も抱えていたので、ガムシャラに働いていました。かと言って、家族を疎かにはしていませんでした。明るく一家和楽を絵に描いた様な笑顔の多い家族でした。めちゃくちゃ、稼ぎの良い私ではなかったのですが、仕事も忙しくさせて頂き、家族も仲良くと、私は幸せだったと思います。

でも、その裏では実は妻が懸命に生活費のやり繰りをしていたのです。私は妻からは、幾度となく生活費の資金繰りの相談を年に数回されていたのですが、その時は丁度仕事が忙しい時期なのもあって、軽く聞き流し、真剣には受け止めていなかったのです。

そして悪い意味で楽観的な考えもあって、常に「何とかなるだろう。妻が何とかやり繰りしてくれているだろう」と思っていました。いや、願望も込めて自分にそう言い聞かせていたのです。

でも、なぜそんなに生活費の資金繰りが大変だったのかは、薄々わかっていました。私は新聞や雑誌の広告制作会社で働いていたのですが、今から7年前に社会不況と業界不況が重なり、初めての給料カットから始まり、次の年にはボーナスが出なくなり、その次の年には2回目の給料カットがありました。この当たり前の様に入ってくるはずの収入がなくなっていきました。私一人ならどうにかなったのでしょうが、私には家族がいます。月によっては給料遅配も始まり、いよいよ生活の歯車が軋み始めていったのです。

その時に初めて真剣に妻の生活費の話に耳を傾けたのです。その話を聞いて驚愕したのを覚えています。入るはずの収入が入ってこない年が続いた事。ボーナスが完全に出なくなった事。そして、給料の支払いが遅れた分の不足を埋めるためにカードで借り入れして埋める。その自転車操業を3年続け、やり繰りしてくれていたのです。その結果、複数のカードによる多重債務の額が、何と300万円となっていました。妻とは数分間口論になったのを覚えています。でも、それは妻への責任転嫁でした。ボヤが大火事になっていく事を何となく分かっていながら、妻に任せっきりにしていたのです。

妻も精神的におかしくなしそうになりながら、3年間やり繰りしてくれていたんです。

でも何を言っても、今の我が家には300万円の多重債務がある。これが現実でした。

勿論、そんな大金は手元にはありません。毎月固定費や税金も待ったなしで支払わなければなりません。頭の中が借金の事で一杯になりました。

そこでどうにもならない険悪な空気の中、妻からの提案で「債務整理の相談をしてみようか?」と言われました。恥ずかしい話ですが、私はその債務整理と言う言葉が、自分の辞書にはなく、よくわかっていませんでした。きっとそれは「まさか自分が借金をするわけがない」とタカを括っていたからだと思います。

そして借金への偏見もありました。「借金の相談は、弱い人が行う事だ」と、借金する人をどこかダメな人間だと思ってしまっていたのです。しかしギャンブルもしない、お酒もそんなに飲まない自分でも、生活を回すためにも借金は発生するのだと、改めて色々と考えさせられました。

妻は言いました。「少し先の未来を生きるために、債務整理の相談をしよう」と。

夫婦で沢山話し合い、早速、法律事務所へ電話をし、週末に地元の法律事務所へ夫婦で相談に行きました。私は道中、ずっと緊張していて、場違いな場所に来てしまったというのが第一印象でした。しかし、担当の方が現れ、そんな緊張していた私に一言。「ご心配だと思いますが、大丈夫ですよ」と声を掛けてくれました。その一言でスッと緊張がなくなったのを今でも鮮明に覚えています。それは病院の先生の言葉の様でした。

そこからは、リラックスして、話を聞く事が出来たのです。「債務整理には、自己破産・個人再生・任意整理の3種類あります」とうう基本的な説明から始まり、それぞれの特性も丁寧に話して頂きました。正直、自己破産と言う怖い言葉を聞いた時は、緊張が走りました。でも、一昔前と大きく違うのは、大きな借金をしたら、もう人生終わりではなく、借金は借金として反省はしつつ、借金を軽くして、新たに人生をリスタートしましょうというのが現代の債務整理の主旨であるという事がわかりました。

でも、借金=信用はいつの時代もかわりません。なので、ペナルティは当然あると言う話を聞いた上で、担当の方は借金額と毎月の負担を考えて、個人再生を推奨して頂きました。

しかし私は金利分、軽減してくれただけでも有難いし、この金額なら毎月返済できるギリギリの額だと思い、任意整理を選択しました。おかげで毎月9万円近くの借金返済が、6万3千円と圧縮されました。

カードが一定期間、使用出来ないというペナルティはありますが、そのペナルティ以上にお金の価値観も見直す事が出来、夫婦でも少し先の未来を話し合う事が出来、相談に行くという、ほんの少しの勇気の一歩を踏んだおかげで、沢山の事を学ばせて頂いた様な気がしました。

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任意整理から個人再生への切り替え

会社ではもうボーナスも出ませんし、昇給もなかったのですが、そこは当てにせず、今の収入の中で、毎月の任意整理での軽減して頂いた額を返済しながら2年が過ぎました。数千円ですが、毎月貯金も出来る様になって行きました。でも、心のどこかで常にありました。「当たり前は存在しない」と言う気持ちです。それは、任意整理の経験が大きかったのだと思います。だからこそ、少しづつでも貯金はしていこうと。カードに頼らない人生を選択したわけですから。しかし、人生思ったように上手くはいきませんでした・・・

大工として、自営業を営む父親が交通事故に遭ったのです。命に別状はないものの、足の負傷が大きく、仕事復帰は半年先と言う事でした。

仕事復帰までの期間、両親の収入はゼロという事なのです。保険での補償金も、父親が自営業と言う不安定な職でもあった為、交通事故の相手から頂ける補償料は僅かな金額でした。ここでも、母親を交えて家族会議が始まりました。

両親にとって唯一の身寄りは、私しかいません。しかし、任意整理の返済でギリギリだった我が家に両親に仕送りするお金はありませんでした。実家を手放す所まで話は出たのですが、それは最後の手段だと止めました。他の方法を探りました。そして脳裏に過ったのが法律事務所への相談でした。

それは、今の任意整理を個人再生にするという選択でした。両親の問題、ギリギリでの任意整理の毎月の支払い、教育費の年々の高騰、そして私の収入が不安定である事。ギリギリだった我が家の歯車も父親の交通事故で、またもや回らなくなってしまいました。

一体いつまで我が家の試練は続くのだろうと途方に暮れた日もありました。でも夫婦で話し合い、仮に父親が交通事故に遭わなくても、ギリギリだった我が家の家計の歯車。ここはポジティブに捉えれば、父親の出来事が、見直す良い分岐点になったのかも知れないと思い、夫婦で任意整理と同じ法律事務所に個人再生への相談に行きました。

任意整理とはリスクのステージが違う事は勉強をしてわかっていました。それは大きく括れば、認可までにかなりの時間を要する事、収集する資料の多さ、そして裁判所が絡んでくる事です。クレジットカードが使えなくなる期間も5年以上となります。官報にも載ります。それでも、ここは両親も含めた我が家の分岐点と捉え、迷わずに個人再生の手続きを行いました。

リスクはありますが、メリットも大きいのがこの個人再生の良い部分でもあります。個人再生の一番のメリットは、現在の債務を1/5前後まで圧縮してくれる事です。その圧縮した額を36回払い若しくは48回払いで、支払い日に遅れる事なく、毎月振り込む事で債務を完済させるという形です。債務が大きく圧縮され、ゴールが設定されている事が大きかったのですが、我が家にとって一番大きなメリットだったのは、持ち家を手放さなくてもいいという条件でした。

自己破産の場合は財産、家、車は全て無くなってしまいますが、個人再生はそうではないのです。その変わり、裁判所からの必要書類の提出量は多いですし、時間も掛かりますよとの事でした。一番、大変だったのは、収集する書類でした。有休も取りつつ、実際は週末しか動けなかったりするので、全て揃えるのに数か月かかりました。役所に出向き、手続きをして頂く書類、車の査定表、家の査定表の様に業者に来て貰わないといけない書類もありました。

でも、この大きなメリットを考えれば楽なものだと、自分に言い聞かせ、これぐらいはやって当たり前だと思っています。

また、妻は妻で半年分の細かな家計簿を毎月作成し、毎月法律事務所の方にメールで送っていました。これも家計の収支の確認の為には必須の書類です。様々な書類を全て提出し、後は法律事務所と裁判所のやり取りに託しました。その数か月の間も、書類の微調整などのやり取りもあり、その都度提出し、相談しての繰り返しを経て、申立てから約七カ月で個人再生の認可が無事におりました。余程の事がない限り不認可という事はないとは聞いていましたが、認可が下りるまでは、やはりドキドキでした。

そこから、毎月圧縮された金額を各クレジットカード会社に返済していきます。この金額も任意整理の時は、6万3千円だったものが、何と1万5千円まで圧縮され、生活がかなり楽になりました。

現在は支払いも無事に完済し、貯金も出来ています。クレジットカードはまだまだ、作れるのは先になりますが、収入が当時とさほど上がっていない収入の中で、貯金が出来ている事が不思議であり、感謝です。

債務整理する前は、正直自分は借金とは真逆の人生だと思っていました。しかし、給料が出る事は当たり前ではないですし、収入が上がっていくのも当たり前ではありません。ある日突然、会社が倒産するかも知れません。そんな当たり前と言う妄想と見栄で生きてきて、目の前の当たり前の生活がなくなりました。

そして、債務整理の相談に二の足を踏んだ時も、自分にある見栄が邪魔をしてきました。でも、振り返ってみて、あの時にくだらない見栄を捨て、ほんの少し先の自分だけではなく、家族の未来を考えた時、勇気の一歩を踏み出せたのです。その結果、借金と言うマイナスの問題からプラスの答えを出す事が出来ました。学ぶ時は常にマイナスからだと思います。そのマイナスをマイナスと捉えるのか、プラスに向かう為の経験と捉えるのかが、借金の問題の根底にあるのだと、この債務整理と言う経験から学ばせて頂きました。

まとめ

任意整理と個人再生では手続きの複雑さが違う事、負債に対しても任意整理は金利の圧縮のみです。個人再生は負債の大幅な減額になります。

負債を大きく減額してくれる個人再生の方が手続きやしなければいけないことが多いです。大変だったと印象に残るのは揃える必要書類で、その時点で口座開設している銀行の直近2年分の取引明細と主となる銀行以外の閉鎖手続きです。これはネット銀行なら簡単ですが、対面の銀行だと平日で9時から15時までに行かなければいけません。平日の仕事がある方だと時間調整して行くのがとても大変です。通帳に2年分の記載が残っていれば良いのですが、ない場合は取引明細を発行してもらう必要があります。銀行によっては発行手数料が掛かりました。この手続きも大変でしたが、何より大変なのは家計簿の作成です。何にいくら使用したのかの把握と毎月ちゃんと返済するための金額を積み立てれるのかなどを確認するためです。最近では家計簿アプリがあるので、アプリを活用するのが良いと思います。その以外にも領収書やレシートをすべて保存しておかなければいけません。

時間もかなり掛かります。書類の揃うスピードにもよりますが、概ね依頼してから認可が下りるまで1年くらいのイメージです。認可が下りた後、一定期間クレジットカードが作れません。

必要書類はもしかしたら若干違いはあるかもしれませんので、あくまで参考にしてください。

メリットは非常に大きいです!まずは大幅な負債の減額です。もう一つは自宅を手放さなくても良いという点です。この自宅というのは住んでいるというのが条件になります。相続で自分名義だが住んでいないなど、複雑な状況の場合は弁護士にしっかり相談してください。

借金の相談で弁護士に相談することは決して恥ずかしい事ではありません。自力返済できるならそれは素晴らしいですが、にっちもさっちもいかない状況を続け、精神状況も不安定になり、健康を害し、仕事が出来なくなる方が問題だと思いました。

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